4月9日の日記
2006年4月9日他人として
私にやさしく接してくれるひとでないんだなぁと客観視。
あんずやえりちゃんやふしぎくんやしまづくんやその他、わたしを囲んで輪を作ってくれてるひとたちみんなには
同じ様な
私を守ってくれるオーラがあって
それは話をする物腰だとか
眼のひかりだとか
そういうものが優しいから。
私を肯定的にみて、話してくれるから
私も安心して自分を出していけるし
さらけ出して交流できる。
それを今の彼は持ち合わせてない。
かつて出逢ったときにも
彼の眼の中に冷たさとかがあるのを感じたことがある。
でも、
一緒にいる時間が長くなるにつれて
彼の瞳はあたたかくなって
こころもあたたかくなって
暮らしも安定したように見えたっけ。
最近
友達の
気が乱れてるとか
そういうことを見れるようになってきた。
それをほぐす方法も
わかるようになってきた気がする。
自分に対して肯定的なひとと
そうでないひとの区別もできる。
ちょっと話しただけで。
それはなんとなく
眼を見るとわかる。
眼を見るからわかる。
私にやさしく接してくれるひとでないんだなぁと客観視。
あんずやえりちゃんやふしぎくんやしまづくんやその他、わたしを囲んで輪を作ってくれてるひとたちみんなには
同じ様な
私を守ってくれるオーラがあって
それは話をする物腰だとか
眼のひかりだとか
そういうものが優しいから。
私を肯定的にみて、話してくれるから
私も安心して自分を出していけるし
さらけ出して交流できる。
それを今の彼は持ち合わせてない。
かつて出逢ったときにも
彼の眼の中に冷たさとかがあるのを感じたことがある。
でも、
一緒にいる時間が長くなるにつれて
彼の瞳はあたたかくなって
こころもあたたかくなって
暮らしも安定したように見えたっけ。
最近
友達の
気が乱れてるとか
そういうことを見れるようになってきた。
それをほぐす方法も
わかるようになってきた気がする。
自分に対して肯定的なひとと
そうでないひとの区別もできる。
ちょっと話しただけで。
それはなんとなく
眼を見るとわかる。
眼を見るからわかる。
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